言葉や態度の奥にあるもの
今日はあることで、久しぶりに強く息子を叱りました。
どう考えても自分が良くないことをしたから叱られてる…
ということは彼も分かっているんですけど
それを素直に受け入れられないのも思春期の中学生。
おまけに、叱った母親である私の態度が悪いと言ってきて
思わず彼の挑発に乗りそうになってしまいました(^^ゞ
こういうときは、決まって言い争いや堂々めぐりになるので
「これ以上はもうこの話はしない」と宣言して知らん顔をするように
しています。
すると、「ほら、自分の都合が良くないとそうやって逃げる」だの
「やっぱり母さんはずるいんだ~」
「ぼくの勝ちだねぇ~、母さんの負けだね~」だの
しばらく言ってるんですけど
そのうちにちょっとずつ頭が冷めてくるみたいです。
(この間がまんして知らん顔を決め込むのも、実は大変(>_<) )
息子は相手の言葉を
「言葉の字面の意味」通りに受け取ってしまうところがよくあって
何度説明しようとしても、興奮状態のときは耳にまったく入らないので
とにかくいったんクールダウンさせてから、図に書いたりしながら
時系列にそって説明しないと納得しないところがあります(^^ゞ
今日もそれで母親の私に食い下がってきているのかなと
思っていたんです。
その後、夫を迎えに駅までの道を運転しているうちに
雨の効果もあってか、自分の気持ちも少しずつ静かになりました。
「なんであんなに怒っているのかなぁ・・・」
「彼は、どうしてほしくて、何が言いたくて、食い下がってくるのかなぁ・・・」
そんなことをぼんやり考えていたら
『もっとぼくを構え!』
『ちゃんとぼくを見ててよ!』
『無視しないで話を聞いてよ!』
・・・っていう息子の声が聞こえてきたような気がしました。
カウンセリングで、クライエントさんのお話を
聴かせていただいているときにも感じることがあるのですが
言葉や目に見える態度、姿そのものの奥に
どこか違うものがあるような気がすることがあります。
そしてそれは、
自分の気持ちが静かになっていないと
なかなか感じることができなかったりします。
私たちは、ついつい目に見えることや聞こえてくる言葉に反応して
そのことだけで相手のことを判断したり感じたりしようとしてしまうけれど
実はそのもっと奥に、大切なものやことがあったりするんですよね(^^ゞ
夫を乗せて帰宅してみると
息子は神妙な顔をして食卓に座っていました。
さっきの話には触れないで
「明日は、勉強終わったら一緒にゲームしようか」
と普通に声を掛けたら
緊張が緩んだみたいで、いつもの元気で明るい息子になりました(^^ゞ
子育てって、育児書通りなんかにはいかないことが多くて
子供だって大人と同じ、複雑な心の持ち主で
わかったような気持ちになってこちらが接していると
大きな勘違いをしちゃっていることなんか、ざらにあるのかもしれないなぁ。
そんなことを思った今日の出来事でした(^^ゞ
どう考えても自分が良くないことをしたから叱られてる…
ということは彼も分かっているんですけど
それを素直に受け入れられないのも思春期の中学生。
おまけに、叱った母親である私の態度が悪いと言ってきて
思わず彼の挑発に乗りそうになってしまいました(^^ゞ
こういうときは、決まって言い争いや堂々めぐりになるので
「これ以上はもうこの話はしない」と宣言して知らん顔をするように
しています。
すると、「ほら、自分の都合が良くないとそうやって逃げる」だの
「やっぱり母さんはずるいんだ~」
「ぼくの勝ちだねぇ~、母さんの負けだね~」だの
しばらく言ってるんですけど
そのうちにちょっとずつ頭が冷めてくるみたいです。
(この間がまんして知らん顔を決め込むのも、実は大変(>_<) )
息子は相手の言葉を
「言葉の字面の意味」通りに受け取ってしまうところがよくあって
何度説明しようとしても、興奮状態のときは耳にまったく入らないので
とにかくいったんクールダウンさせてから、図に書いたりしながら
時系列にそって説明しないと納得しないところがあります(^^ゞ
今日もそれで母親の私に食い下がってきているのかなと
思っていたんです。
その後、夫を迎えに駅までの道を運転しているうちに
雨の効果もあってか、自分の気持ちも少しずつ静かになりました。
「なんであんなに怒っているのかなぁ・・・」
「彼は、どうしてほしくて、何が言いたくて、食い下がってくるのかなぁ・・・」
そんなことをぼんやり考えていたら
『もっとぼくを構え!』
『ちゃんとぼくを見ててよ!』
『無視しないで話を聞いてよ!』
・・・っていう息子の声が聞こえてきたような気がしました。
カウンセリングで、クライエントさんのお話を
聴かせていただいているときにも感じることがあるのですが
言葉や目に見える態度、姿そのものの奥に
どこか違うものがあるような気がすることがあります。
そしてそれは、
自分の気持ちが静かになっていないと
なかなか感じることができなかったりします。
私たちは、ついつい目に見えることや聞こえてくる言葉に反応して
そのことだけで相手のことを判断したり感じたりしようとしてしまうけれど
実はそのもっと奥に、大切なものやことがあったりするんですよね(^^ゞ
夫を乗せて帰宅してみると
息子は神妙な顔をして食卓に座っていました。
さっきの話には触れないで
「明日は、勉強終わったら一緒にゲームしようか」
と普通に声を掛けたら
緊張が緩んだみたいで、いつもの元気で明るい息子になりました(^^ゞ
子育てって、育児書通りなんかにはいかないことが多くて
子供だって大人と同じ、複雑な心の持ち主で
わかったような気持ちになってこちらが接していると
大きな勘違いをしちゃっていることなんか、ざらにあるのかもしれないなぁ。
そんなことを思った今日の出来事でした(^^ゞ
この記事へのコメント
なかなか大変ですね。
これも成長の証かな、、、。
たまには心の余裕を残したまま、徹底的に話して見るのもいいかな、、、って思ってしまいました。
コメントをありがとうございました(^-^)
息子には発達障害の特徴があって、コミュニケーションや先のことを予測して行動することに苦手な部分があるので、そのことを親が知っているのといないのとでは子育ての大変さがずいぶん変わってしまうんだろうなぁ…と実感することがよくあります。
興奮状態ではじっくり向き合って話すことも大変なので
、親の自分がまずは少し離れて、落ち着いてきたところでとことん息子と話すようにしています(^^ゞ
子育ては、「親育て」でもありますよね~。私もずいぶん息子に鍛えられてます(^^ゞ
虐待防止の相談員活動をしていて一番思うことは、必要以上に自分のことを「駄目な母親」と無意識に責めてしまっていて、それが子育てに向かってしまう場合が多いんだなぁ…ということでした。
私もまだまだダメ母なんですけど、親も人間。「大人げない」部分を見せつつも、育児にどっぷり浸かっていこうと思いました。ありがとうございます(^.^)/~~~